Crown Pawn

歩兵の上の冠

マルキ・ド・サドとその思想、サディスティックの頂点といえる小説たち

マルキ・ド・サドというフランス革命期の作家がいる。彼はフランス貴族の息子で裕福ではあったが、30年近くもの人生を刑務所や精神病院で過ごした。ほとんどの作品は彼が獄中で書いたものである。その中には暴力や性描写などがあり、サディズムという言葉が彼の名前が生まれたほどだ。そんな彼の作品たちだが、澁澤龍彦などにより翻訳され今も評価され続けているという事実がある。ただのエログロ作品ではなく、長きにわたって人を引き付ける魅力があるのだ。

 

 

 

 悪徳の栄え 上・下 ジュスティーヌ

公平世界仮説という言葉を知っているだろうか。平たく言えば、この世界の善は報われて悪には罰があるのではないかという考え方だ。世の中の大多数の物語はこの仮説にのっとっているように見える。要は主人公がいわゆる”良い”方向に成長し、偉業を成し遂げたり悪を退治したりする物語が多い。しかしマルキ・ド・サドの作品たちは一味違う。顕著なのがこの「悪徳の栄え」とそれに続く「ジュスティーヌ物語」だろう。簡単にあらすじを説明すると、パンテモンの修道院で育てられたある姉妹は美徳と悪、という別のものを信じ、それぞれの道を歩んでいく物語だ。悪徳の栄えが姉のジュリエット(悪の道)、そしてジュスティーヌは妹の名であり、美徳を信じた彼女の物語になっている。

 

この情報だけ聞いたときに、皆さんはどんなストーリーを想像しただろうか。日本の昔話のように、悪徳を信じた姉は没落し、美徳を信じた妹は報われるような、公平なストーリーだろうか。繰り返しになるがマルキ・ド・サドの物語は違うのだ。悪の道に進んだ姉のジュリエットは、波乱万丈の人生を送る中で己の中に確かな思想を身につけながら、悪の遍歴を重ねていくのだ。この本をただのエログロ作品と分かつ決定的なポイントは、膨大な知識や論説によって悪が語られる点だ。

自然が善をつくることができたのも、もっぱら悪の力によるのであり、自然が存在しているのも、罪の力によるのであって、もし地上に美徳しか棲まなかったら、すべては破壊されるだろう。 悪徳の栄え 上

悪ってなんだ?罪ってなんだ?なんで悪いことをしてはいけないのか?少しでも気になった人はこの本を手に取ってみてほしい。いわゆる”善”からではなくその反対の”悪”の視点から語られる正義を知ることが出来る。

 

現代社会にも通じる思想や力強さをこの作品から得ることもできるだろう。AIなどの統計学や物理学が発展していく今、旧来の美徳や伝統が失われつつある。そのような信仰が失われていく今、どのように我々は生きていけばよいのだろうか。この作品でも美徳や信仰という大衆に迎合したものを信じ耐え続けたジュスティーヌと、悪徳という個人の行動により身に着けた思想を信じ行動したジュリエット。公平世界ではないこの作品では二人の顛末が対照的に描かれている。この対比は現代にも通じる部分があるだろう。

 

そしてその思想について詳しく知りたくなった時は以下の本がおすすめだ。

 

閨房哲学

上下巻は長いという人にも、お勧めの本である。この一冊でマルキ・ド・サドの思想の概要を知ることが出来る。快楽を信じる夫人とその仲間たちと、彼女らに教えを受ける情熱的な若い女性の対話によって物語が進んでいく。中盤では対話という事を忘れてしまうぐらい詳細に彼の思想が語られている。

人は何のために生きるのだろう?その目的は何のため?と問い詰めていき、終点には神のような絶対者が必要になる。しかし皆さんは本当の意味で神の存在を信じられるだろうか?神の存在が認められないのなら、残すは行動の主体である自分だけだろう。そしてその欲動こそが行動の第一原理となるのだ。この結論に行きついた放蕩者はどのような思想を持つのだろうか。ぜひ読んで確かめてみてほしい。対話形式になっているため、思想もかなりわかりやすくなっている。

 いかがだっただろうか。マルキ・ド・サドという人物とその作品について少しでも興味を持っていただけたら嬉しく思う。この人物は現代の生き方や表現規制問題などにも通じる部分を持つ多彩な見方ができる作家だと考えている。ぜひ読んでみてはいかがだろうか。