完成させられない事
done is better than perfectとかいう言葉があります。
facebookの創業者か誰かでしたっけ。
わりと正しいよなあと思うのは、perfectなんて不可能だからでしょうか。
そもそも完璧ってどんな状態を指すんでしょう?
欠点がないことでしょうか。
しかし欠点なんて、いくらでもひねり出せますよね。
万人に受けるコンテンツがないのと同じように、欠点ととられかねない点を全部潰すのは事実上不可能ですね。
そういう意味で、とりあえず「形にする」というのは筋が通っている戦略かもしれません。
「それが終わったらperfectを目指してみましょう」って感じかな。
しかしperfectであることは事実上不可能です。
たとえば、機会費用という言葉があります。
「それをすることで、どれだけ他のことができなくなるか」みたいな。
お腹空いてる時に、ラーメンかパンケーキが食べたかったとする。
ラーメンを食べたら、パンケーキが食べられなくなる。
逆もしかり。
ラーメン→パンケーキは食べすぎですもんね。
空腹である最初に食べたほうが美味しさも大きいでしょうし、機会費用からは逃れられません。
同時に食べればいいって?あんまり美味しくなさそうですね。
ここで一番難しい問題が、二つを公平に比べられない事でしょうか。
たとえば、当たる確率の違う二つのクジなら話は簡単です。
より当たるほうを選べばいいですからね。
しかし、ラーメンとパンケーキのどっちが美味しい?って聞かれたら難しいですよね。
どちらもベクトルが違う良さがあって、決めきれない。
最高のラーメンと、口に合わないパンケーキだったとしても迷う事ありますよね。
この場合でも、done is better than perfectでしょうか。
どっちを食べても、まあまあ満足するし、まあまあ後悔するでしょうからね。
「近いからこっちでいいや」くらいで食べちゃった方が手っ取り早いですな。
それが出来ないのが私なんですけどね。
とりあえずperfectを目指したくなってしまう。
「どっちも良い点があって捨てられない」、貧乏性です。
テストを早めに終わらせても、気になって無限に見直ししちゃうタイプの人です。
テストならその時間はテストしかできないんですけど、タスクの場合は大変。
「いや…ここはこうした方がいいな…」って無限に考えて他のことが出来なくなる。
なので最近は、ぎりぎりに終わるような時間で始めています。
「時間なくてギリギリだから」という言い訳が欲しいわけですな。
または、勢いだけでやる時もあります。
一気に書いて、気になり出す前にdoneにしてしまう。
勉強でも趣味でもperfectを目指すのは大変そうです。
機会費用って考えだしたら止まりませんからね。
「こうすると機会損失が…」って考えている間にも費用はかさみます。
なので最近では、やることは一つ以下に絞るようにしています。
「AもやりたいしBもやりたい」って考えだしたらキリがないですからね。
機会費用に殺されてしまいます。
それならむしろ、失うものを無くして0にする。
失うものが無いからやりたい放題ですね。
新しいことを始めた後って大抵は効率が悪くて機会費用に悩まされがちなので、多少暇なくらいがちょうどいいんじゃないでしょうか。
「違う事やってたほうが…」とか「こういう見方をすれば…」とか考えだしたらキリがないですからね。
非接続とか切断ってやつです。
まあ別に、意図して他事を切り捨てているわけではないんですけどね。
「そもそも、そんなに合理的に最大効率を求めてないよ!」
それもそうでした。
そういう意味で”目を背けること”も大切だと思います。(とても言い方が悪い)
未来のことがわからない以上、最大効率かなんて判るはずもない話ではあります。
じゃあ最大効率とかじゃなくて、「ギリギリだから」とか「慣例だから」みたいなものに頼るのも一つの手ですね。
”儀式のような、手順とか伝統みたいなもの”を大切にしていく。
しかし言葉を習得してしまった以上、「こうした方が…」みたいなのが無くなることはありません。
それさえ考えられないほど繁忙を極めるのも手なんですけどね。
ある時、「なんでこんなに忙しくやってるんだろ…」って戻ってしまうことも多々。
ほどよい忙しさがいいですね。
暇すぎないし、忙しすぎない。
動きすぎないけど、動かなすぎない。
けど動くのと動かないのとって両立できませんよね。
あぁ、また機会費用だ!