目先の注射器だけを見ていく
何かを完成させることって難しいですよね。
物を完成させるときに、勢いでとりあえず終わらせるのは不可能ではありません。
最初の勢いだけで、細かい所を見ずに終わらせてしまう。
クオリティーは置いといても、モノはできるので悪くないですね。
しかし本当に難しいのは、最後まで丁寧にやりぬくことではないでしょうか。
そんなに面倒で大変な問題は、分割して考えよう!っていうのは有名な話です。
初出はデカルトの方法序説ですかね。
第二は、わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること。
デカルト; 谷川 多佳子. 方法序説 (岩波文庫) (Kindle の位置No.291-292). . Kindle 版.
凄く理に適った考え方なんですけど、分解して簡単にしてしまうと”やる気”が失われてしまうんです。
私だけかもしれませんけど。
最小単位まで分解して、あとは手順通りに進めれば終わるようにする。
そうすると物事が自明すぎて、「何かしょぼくない?」っていって萎えてしまいます。
行為が簡単になった分、無駄に頭が回ってしまうんでしょうね。
「これを完成させたところでなあ」とか「やる必要なくない?」「他の事やったほうが有意義じゃない?」という考えたちが頭をよぎります。
遊んでいる時は、他の勉強なり仕事なりをするべきのように思えてしまう。
仕事をしている時は、自分の無力感、虚無感、無駄感を感じてしまう。
これに耐えながら物事を進めるのはなかなか難しくないですか?
頭が回って思考できるようになるのはいいんですけどね、もうちょっと別の用途に使ってほしいものです。
タスクをやり遂げるのに大事なのは「負けないこと」「投げ出さないこと」「逃げ出さないこと」「信じぬくこと」かもしれません。
無力感、虚無感に負けないこと。
途中で投げ出さないこと。
タスクから逃げ出さないこと。
「今やっていることは意義がある」と信じぬくこと。
なかなか難しそうですね。
そういえば、子供の頃はこれが出来ていましたよね。
謎の衝動に突き動かされて、最後までやり遂げることができていた気がします。
余計な雑念が無いからなんでしょうか。
そういう意味では、完成させるには、ある種の信仰だとか、盲目である能力だとかが必要な気がします。
「他の事やった方がなあ」とか「私がやる必要ないなあ」とかって、間違っているわけじゃないですからね。
時間は平等なので何してても変わりませんし、「私が絶対にやらなきゃいけないこと」みたいなのも存在しません、究極的には。
そんな間違っていない考えたちを無視して、または頭に過ぎらせずに、物事をひたすらに続ける。
物事を完遂するには、こんな感じで盲目的になる必要がありそうです。
自分から盲目的になるのは難しそうなので、周りに盲目にしてもらうのは一つの手ですね。
ソーシャルゲームのログインボーナスみたいなのはいい手段です。
娯楽という本来の目的から目を背けさせる。
パチンコの過度な演出も、近い目的らしいですね。
派手な光と爆音で、思考する余力を奪う。
この辺の知見って別のことにも流用できそうです。
毎日続けることに意義を与え、活動の情報量を増やして盲目的に動き続けさせる。
サラリーマンとか学生とか宗教とかこんな感じでしたっけ。
まあ、盲目でもないとやってられない事もありますからね。
逆に、盲目的になるのを辞めるのも、浅はかな選択肢な気がします。
「やり遂げるアドバンテージを失う事」や「考え続けなければいけない」などなどデメリットも多そうです。
どっちもダメそうですな。
とりあえずは盲目的に、物事を始めたり進めたりするのはアリですね。
「アレ?何かおかしくない?」っていう天啓は、意識しなくても勝手に下りてくると思っています。
自分から考えて、それを続けるのはなかなか大変です。
とりあえずはこんな感じで、目先のことに集中したいものです。