あえて口を出さないということ
皆さんは政治とか倫理の話をするのって好きですか?
私は苦手です。
さっき君は何の記事を書いたんだい?って思ってますよね。
苦手でも、メモがてら書いちゃいたくなるんですよ。
沈黙は金
まあなぜ苦手なのかというと、答えがないからなんですよ。
例えばディスカッションだとか、ある問題をみんなで解くとかなら大丈夫なんですけどね。
ある答えがあったり、向かう先がわかっているなら、話し合いのしがいがあります。
しかし政治とか倫理とかはどうでしょう?
「根本で何を大切にしているか」が食い違うと、合意に達することは本当に難しくなります。
幸せが大事だとか、幸せだったとしても”本当の幸せ”なのかとか”見かけ上の幸せ”が大事なのかとか、金が全てだとかとか。
この根本の部分って広義の宗教に値する部分なので、言葉で説得だとかが通用しない部分です。
なのでどこまで話し合ったとしても最終的には「まあいろんな価値観があるよね」というフワッとした議論で終わってしまいます。
それならまだマシなんですけどね、ひどい議論だと「お前はわかってねえな」って相手を罵倒して終わってしまうという。
議論してもなぁと思ってしまうんですよね。
ヴィトゲンシュタインさんも
語りえないものは沈黙するしかない*1
って言ってますからね。
倫理は世界の外です。
ネット議論はウンコな議論
その上でさらに、ネットで議論するのがもっと苦手です。
相手の顔も見れない状況で文字だけで答えのない議論をする。
かなりの高等技術じゃないですか?
しかも大抵の人は、わりと攻めた口調になりますからね。
議論する気も無くすというものです。
そしてさらに難しくするのが、ネット議論って理由を明確にした意見が少ない気がします。
Twitterで見ても、「○○なんて人格を疑う」とか「○○とか普通はありえない」みたいな。
これって理由も根拠もないただの罵倒です。
全部文字にしてしまうと反論されやすくなるっていうのもあるでしょうからね。
誰がどこから議論に参加してくるかわからない以上、理由も根拠もなしに罵倒してたほうがそりゃあ安全ですわな。
まあ仕方ないですね。
あえて言わないという選択肢
でも議論が苦手なら、それを避けて生きていくのも一つの選択肢じゃないかなと思っています。
もちろん自分を表現するのは大切ですけどね。
人間は広義の宗教に頼って生きていく必要がある以上、「話せばわかる」みたいなのは幻想です。
それなら「わからないけど許せる」みたいなのを目指すのも、アリじゃないですか?
むしろ「時間をかければ何でもわかるし、みんな一緒でわかりあえる」って思うのは傲慢で阿漕ではないでしょうか。
もちろん議論なしでは、相手のことでわからない部分はありますし、自分のこともわかってもらえない。
だけど議論したところで、それって変わらないと思うんです。
なら「あなたのことは理解できないし、わかろうともしないけど、別に許すし何してもいいよ」という余裕を持ったほうが私にとっては楽です。
ストロングスタイルみたいな感じですかね。
逃げた結果なのでウィークスタイルかもしれません。
否定するよりも肯定したほうが楽じゃない?
相手のことを否定するのって、なかなか労力を必要とします。
罵倒じゃない本当の否定をしようと思ったら、相手の考え方を知って弱点を見つけて…みたいなことしなきゃいけないですからね。
罵倒なんてしても意味ないですし、案外、全部許すみたいなスタイルのほうが楽じゃないですか?
否定はもっともな理由がいりますけど、肯定なら大した理由なしでもとりあえず許しておけばいいですからね。
でも別に、あなたが我が道を進んだとしても私は気にしません。
私はこういうウィークスタイルで行くよってだけです。
弱虫スタイルですね。
好きなように行きましょう。
*1:論考より