Leonに感化され過ぎて、アグラオネマを育ててみたい
別にLeonに感化され過ぎてる訳でもないかもしれません。
LEONは最高
Leonという映画、見たことありますか?
まだの方は羨ましい、面白さは保証するのでとりあえず見てください。
凶暴な純愛がここに完結する。『グラン・ブルー』『二キータ』のリュック・ベッソン監督が、ニューヨークを舞台に放つアクション・エンタテインメント!アカデミー賞女優、ナタリー・ポートマン鮮烈のデビュー作。
Amazon紹介文より
この映画、Leonの主人公は「アグラオネマ」っていう観葉植物と一緒に暮らしています。
上木鉢に入った根の張れない植物と、クリーナーとして転々とした暮らしをしている自分を重ね合わせてたりしましたね。
その植物を「最高の友」って呼んでみたり。
最後のシーンは泣けますね。
その前のマチルダの台詞が伏線になっているとは…
大地に植えれば根を張るんですね。
植物を育ててみたい
急に話は薄っぺらくなるんですけど、leonみたいに植物でも育ててみたいなぁと思っています。
なんかこう、生活が丁寧になる気がするんですよね。
自分の力だけで生活リズムを正すのはしんどいので、他人の力を借りたいんです。
でも人だと申し訳ないから、とりあえずは植物で。
朝起きて日に当たる場所に植物を出して、定期的に水をあげて、虫がわいたら対策してみたいな生活。
光合成させなきゃいけないので、早起きさせられたりしていい感じの生活になりそうですよね。
イメージ的には、小学校の夏休みの宿題で朝顔を育てる感じですかね。
シンプルに小学生の夏休みに戻りたがっているだけかも。
植物に自分を重ね合わせる
でも、植物の世話みたいな生活の指標って必要だと思うんですよね。
目標もなくフワッとした生活を続けるのも大変だし、逆に目標があって忙しくっても生きづらい。
そういう意味で植物とかの成長ってちょうどいい気がします。
育つも枯れるも最後は時の運ですし、頑張ったところでそれが全部反映されるわけでもないっていう優しさと残酷さをあわせ持っている。
枯れたのが私のせいじゃないかもしれないし、頑張ったところで観葉植物が天まで届いたりするわけでもない。
出来るのは、ただやることをやって成長を見守るだけ。
ちょうどいい距離感じゃないですか。
頑張った分評価されるようなシステムだと、頑張りすぎちゃいますからね。
植物を育てるときの謎の気持ち
このブログに何度も登場する「君の言い訳は最高の芸術」っていう本にガーデニングについての一節があります。
雑に抜粋すると、植物を育てるときの愛でもただの習慣でもない、あの不思議な気持ちって何だろうねっていう話です。
ホント何なんですかね。
その不思議な感情っていうのは、自分を見るような感じなんかなぁという気がします。
さっきも書いたんですけど、生活にはちょっとした指標が必要です。
「今日はこれやったぞ〜」みたいな達成感というか。
それが植物の成長と繋がってて、植物=自分のような繋がりがあるのではないかと。
いわば自分を客観的に見てるかのような状態になるんですかね。
これが本当なら、植物に手間暇かける人は自分の生活も丁寧、みたいな相関ありそうですね。
サボテンか牛乳か
でも逆に、植物を犠牲にするほどの惰性と冷血さ露呈するかもしれないのか。
それはちょっと嫌ですね。
とりあえず、手間暇かからなそうなサボテンあたりから始めてみましょうか。
あれは日当たりいい場所において、たまに水やりするくらいで大丈夫らしいですね。
なんかオシャレな容器に入ったものとか見かけますし、ちょっと欲しいな。
でも逆に楽すぎて、育ててる感とか育ってる感が薄すぎるかもしれません。
1クールで花が咲いて種も出来て、みたいに進みませんもんね。
ちょっと遣り甲斐が薄いかな。
まあでもこうやって御託を並べてる当たり、買うことはない気がします。
正直ちょっとめんどくさいし、植物にしても生きがいにされるのはちょっと重いでしょうしね。
とりあえずレオンに倣って牛乳を飲むことから始めます。