口当たりのいい言葉でラッピングしたくない/「思いやり」なんてクソ食らえ
「思いやり」「仁義」「人として」「大人なら」とかとか、口当たりのいい言葉はたくんあります。
「あなたのためを思って」みたいなのもよく聞きますね。
突然ですが、私はこの辺の言葉がとても苦手で嫌いです。
こういう言葉って、どういう場面で使う言葉でしょうか?
「それは人としてやったダメなことだよ」とか「思いやりを持て」とかありますね。
要は、言った相手に治して欲しい点があるわけです。
冗談の場合は別として、相手が自分の気に食わないことをしている。
相手を自分のいいように矯正したいから、口当たりのいい言葉で自分の意見をラッピングして伝える。
「(私が思っている)大人なら(そんなことをしないし、あなたにしてほしくないから)やっちゃダメだよ」って言っているわけです。
発話者のただの個人的な意見を、「仁義」とか「人として」みたいな綺麗な言葉で伝えているだけではないでしょうか。
「思いやりを持て」
とか言いますけど、要はあなたの思う様に動いてほしいだけですよね?
自分に対して「思いやりを持ちたい」なら、まだ解る話です。
これまでに”思いやりを持った”行動ができなかったから、戒めとして発言する。
全て自分の中で完結している行為です。
しかし他人からの「思いやりを持て」という発言。
相手が”思いやり”を持っているかどうかなんて、どうやって判別するのでしょう?
持っているかどうかは別として、要は思いやりを全面に出して”(私が考える)思いやりを持った行動”をしてほしいだけですよね?
「私の思う様に動け」って言っているのと変わらないと思っています。
むしろ、”世間”とか”思いやり”とか”仁義”みたいなのに責任を押し付けて、個人の意見を通そうとする最低の行為な気がしてしまいます。
"あなたのためを思って”言ってくれる。
もちろんありがたい話ではあります、真意なら。
しかし”人のためを思って”が何かの理由になるでしょうか?
”あなたのため”を思ったら何でも許されるし、どんな意見でも通ると思っているのでしょうか?
これも、「あなたの(私が思う”良い”方向へ進ませる)ため」ですよね?
勝手に結論を押し付けて、口当たりのいい言葉で自分の意見を隠しているだけではないでしょうか。
アドバイスを貰えるのはもちろんありがたいことです。
押し付けられているだけかもしれませんが、まあ無いよりマシでしょう。
ですが”思いやり”とかの口当たりの良い言葉で自分の意見をごまかすのは、いかがなものでしょうか。
まあ私は苦手だから使わないよってだけの話なんですけどね。
「仁義」とか「○○さんはお前のためを思っているんだよ!」とかって、どんな映画で見かけるでしょうか?
ヤクザ映画ですよね。
ちょっとは口当たり悪くなりましたか?
別に「思いやり」とか「仁義」を持つことが悪いことと言いたいわけではありません。
もはやそれが何なのかはわかりませんけど。
自分の意見を伝えるだけなら、口あたりのいい言葉を使う必要もないかなと思っています。
正直、「相手が何を考えて何をしたいと思っているか」なんて判るはずないですからね。
それなら真意を隠すんじゃなくて、口当たりの悪い言葉だったとしても、ぶつけたほうが”相手の糧”にはなるのではないでしょうか。
「私はこう思うし、こうして欲しい」
このほうが、相手にも個人的な意見ってことが伝わりやすいですしね。
勝手に思っている意見なら、聞かないのも自由。
もしこれがタメになった時にも私の意見ってことがわかりやすいので、リターンも大きいんじゃないですか?
というか、口当たりの良い言葉で相手をねじ伏せようとしてること自体が怖いですね。
この辺の言葉を使っている時点で、もはや相手に議論の余地は無いのではないでしょうか。
勝手に神の視点を持って、”人として”みたいな評価を作り上げているわけですからね。
これに歯向かう私たちは、神や社会に歯向かうテロリストみたいになってしまいます。
そりゃ敵いませんわな。
ちゃんと対話しましょうよ。
そのために、まずは神の視点から引きずり落して、個人vs個人にまで持ち込むことが大切です。
たとえ口当たりが悪くても、相手の糧になるような言葉を発したいですね。
栄養サプリみたいな。
ちょっと有難みが強すぎますね。
そんなに素晴らしい意見はできないですし、気に食わなかったら無視して欲しいくらいの意見ですから。
「弁当に入ってる謎のプチトマト」みたいな位置が私の理想でしょうか。
消費者のためを思って入っているのかはわからないし、謎に温まっている申し訳程度の野菜。
けど好きな人は好きだし、食べたら栄養にもなる。
私の理想のポジションですね。
プチトマト、目指していこうと思います。