モノを捨てるのは辛い ひみつさんの作品を読んで思った
物を捨てるのが辛い。
前から思っていたことだけれど、人形とかの人型のものに限らず物を捨てると罪悪感を感じてしまう。
特にタオルやクッションなどの柔らかいものだと「捨てる必要もないかな」と思ってしまいます。
先日、こんな漫画を読みました。
厳密にはこのマンガではないのだけれど、この著者はいろんな作品を書いているので気になったらほかの作品も探してみてください。
ぺたがーるもこれはこれで、普通に面白いギャグマンガでした。
謎の擬人化ブーム
話が逸れてしまいましたが、物を擬人化する作品はたくさんあります。
最近では銃も美少女になるし、古いところだとトイストーリーなども玩具に魂が宿っているという点では似たような感じでしょう。
さらに古くなると日本では「米粒一つには七人の神様が宿っている」という思想さえあります。
「物に魂なり神様なりが宿っている」という思想は結構歴史があるんですね。
堅苦しい言葉を使えば「汎神論」というものになりそうです。
全ての物体は神が顕在したものである、要は全部に神様やどってるよ~みたいな感じです。
神様ほど大きいものでなくても、人格(人ではないかな?)のようなものを製品に感じてしまうことがよくあります。
トイストーリーのように、人形やキーホルダーのフィギュアには"何か”が宿っていて、捨てると悲しんでしまうのではないかと気にしてしまいます。
別に神様も信じてはいないし、物に人格はないんじゃないか?と思ってはいつつも、
「ゴミ箱で悲しんでいたらやだな」と思って捨てられなくなってしまうんですね。
別に人型のものに限った話ではありません。
タオルとかの柔らかいものだとそういう思想が少し出てきます。
柔らかい×人型の、こんな感じの抱き枕だと本当に罪悪感がかなりあり、なかなか捨てることができません。
以前捨てたときには、使いやすくて愛着があったのもあり、ゴミ袋に入った抱き枕をみるのは辛いものがありました。
捨てるときの罪悪感
なんでこう思ってしまうのかは、自分でもわかりません。
本気で人格があるとも思っていないし、そもそも宿っていたとしても捨てるときにだけ考えるのはいささか阿漕な気もします。
生産者の気配を水面下で感じているのでしょうか。
その場合でも、普段使っている時でなく捨てるときだけ感じるので、生産者に申し訳なく思っているというのも違いそうです。
そもそも大して使っていなかったものでも、捨てるときには申し訳なさを感じるので謎は深まります。
捨てなかったところで、押し入れに置いておくのもそれはそれで申し訳ないですよね。
輪廻転生があるなら、捨てたほうが”魂”のためにはなりそうなのに。
物を捨てられないという貧乏性が、変わった形で出ているという説は結構当たってそうです。
心の奥底では「捨てたくないな~」って思っている無意識が、物の人格という謎の思想で出てくるみたいな。
実は汎神論とかコメの神様も、この考えから出来てたりして。
そんな事を取り留めもなく考えていたら、キノの旅が読みたくなってきました。
バイクがしゃべる、謎の作品。
主人公の愛着が、バイクを喋らせることを可能にしているのでしょうか。
その場合、カーズとかはどう解釈しましょう。
車好きの人たちの総体が喋らせてるんですかね。
私が「捨てたくない」と思いながら捨てて、勝手に罪悪感を感じているなら、これといった解決策はなさそうです。
物は買い変えなきゃいけない時期が勝手に来ますし、流行り廃りもあります。
貧乏性は一生ものでしょうし、この癖とも一生付き合うことになりそうです。
辛いなあ。 家に物があふれてしまう日も近いかもしれません。